DOVIZIOSO24

ドヴィジオーゾとSUOMYの軌跡を辿るお話。今回で最後にします。

何かと世間を騒がせたSR-GPも遂に完成。2020年は市販に向け、世界各国の規格に適合するよう、調整の段階に入りました。

(規格の基準となるのはヨーロッパ全土のECE。ECEが流通し始めると、イギリス、アメリカ、カナダ、ブラジル、オーストラリア、アルゼンチン、台湾、日本と、順番に規格品の開発に入ります。)

しかし、商品開発もMotoGPもパンデミックにより、大きな打撃を受け、異例のシーズンとなりました。

開幕前から、ドヴィジオーゾは2020年限りでDUCATIを離れるのではないかと噂は絶えず。

(実は2018年でほぼ決まっていたようですが)

DUCATIは引退したライダーを呼び戻そうとしたり、ライバルメーカーの選手をドヴィジオーゾの何倍ものサラリーで引き抜こうとしたり、といった動きが堂々とありました。

ドヴィジオーゾはパンデミックによる2020年のサラリー減額も快く受け入れ、チームディレクターや企業スポンサーもドヴィジオーゾの継続を一番に望んでいたので、まずは一安心かと思っていました。

シーズンが始まってみると、非常に厳しい展開。新構造タイヤが原因か、心の問題か、まともに走れることがほとんどありません。

そんな中、5戦目となったオーストリアで、ドヴィジオーゾの方からDUCATI離脱を発表します。

次の行き先が決まらないのに、こんな決断をするのは余程のことだったのだと思います。

そのレース。吹っ切れたドヴィジオーゾは強かった。コンディションが悪い中、見事な勝利でしたが、2020年の優勝はこの1回。離脱を決めたドヴィジオーゾのマシンにアップデートは無く、あとは表彰台にも上がれませんでした。

ランキングは4位で終了。不可抗力が無ければ2位は取れたかもしれませんが、本当に何もかもうまくいかない奇妙なシーズンでした。

DUCATI離脱の理由は、結局のところ双方が合わなかったということ。

ドヴィジオーゾはDUCATI低迷期から頑張って成績を上げ、サラリー10倍のチームメイトに勝っても不遇を感じ、DUCATI側としては、何年もチャンピオンになれていないのであれば、次の手を探すのは当然でしょうし。

どちらも前向きな別離だったのではないでしょうか。

2021年、ドヴィジオーゾはMotoGP浪人となりますが、プロレベルの趣味のモトクロスを満喫するようです。親友のカイローリとともにアカデミー開校の計画もあるそうです。
ドヴィジオーゾは現在34歳。復帰が簡単な年齢ではありませんが、もしMotoGPに戻ってくることになったら、またSUOMYヘルメットで活躍してもらいたいと思います。

SR-GPはドヴィジオーゾの意見が100%フィードバックされています。6000km以上、ドヴィジオーゾが走行テストを担当しました。

SR-SPORTも、ドヴィジオーゾの意見で本当に素晴らしいヘルメットになりました。
SR-GPも見事な仕上がりです。

2021年からのプロモーションは、晴れてDUCATIワークスの一員となった、フランチェスコ・PECCO・バニャイヤが担当します。

あとは日本仕様の完成を待つのみ。

それでは、また。

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