DOVIZIOSO 2

ドヴィジオーゾとSUOMYの軌跡を辿るお話。

ドヴィジオーゾは2008年にMotoGP昇格、サテライトマシンながらもHRCワークスの一角を崩しランキング5位。

その実力は疑いようがなく、2009年はREPSOL HRC入りを決め、MotoGP2年目で初優勝を果たし、ランキング6位。

そしてワークス2年目で期待も大きくなる2010年に、SUOMYと契約をしました。

皇帝マックス・ビアッジはMotoGPを去り、カピロッシはキャリアの終焉を迎え、次なるイタリアンライダー代表としてSUOMYが抜擢したのも当然かもしれません。

当時のヘルメットは過渡期にありました、EXTREME。

日本では転倒とかけられ、バイク乗りには縁起が悪いと言われるテントウムシのデザイン。

ヨーロッパでのテントウムシは幸運の象徴なんです。

EXTREMEのドヴィジオーゾモデルは、そんなデザインだと気づかれることもなく、よく売れました。

派手なグラフィックが特徴のSUOMYヘルメットの中ではシンプルの部類で異彩を放っていましたので、意外でした。

そしてドヴィジオーゾは表彰台の常連となりましたが、1シーズン限りでSUOMYとの契約終了。

これはちょっと意外でしたが、会社都合といいますか、オーナーの考えといいますか、SUOMYはトップライダーと契約をしないという方針になってしまったからでした。

2011年はホンダ勢2番手ランキング3位の好成績で終えますが、ワークス放出。これは当時の関係者の話だと、今でも悔やむほどの苦渋の決断だったそうです。

2012年はヤマハのサテライトチームに移り、ヤマハ勢2番手のランキング4位。

どんな環境でも力を示すドヴィジオーゾは2013年、低迷を続けるDUCATIの再建を託されることになりました。

さすがのドヴィジオーゾも、いきなり好成績を上げることはできず、ランキング8位でしたが、マシン開発の方向性を示す大事な役割を果たしました。

SUOMYは2012年よりSR-SPORTを一般公開し始め、この新型ヘルメットの広告塔にドヴィジオーゾを起用することを決めていました。

そして2014年、新体制となったSUOMYとの鋼鉄のパートナーシップが始まることとなります。

マシン開発には定評のあるドヴィジオーゾですが、ヘルメットの開発にも大きく携わり、SR-SPORTは今までに類を見ない、軽く、強く、安全で、動きやすいヘルメットになりました。

ではまた、次回に続きます。

SUOMY HELMETS JAPAN

イタリアンレーシングヘルメット SUOMY(スオーミー)ジャパンオフィシャルサイト